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スロバキアという国

 

1.基本的事項

 

1993年1月1日、チェコ・スロバキア連邦共和国が解体し、スロバキア共和国として分離独立。

 

(1)面積    49,035平方キロメートル 

(2)人口 537万9,455人(男性48.66%、女性51.4%)

(3)民族構成  

スロバキア人85.8%

ハンガリー人 9.7%

ロマ人  1.7%

チェコ人 0.8%

ルシーン人・ウクライナ人 0.7%

その他 1.3%

(4)首都 

ブラチスラバ

地方自治体  県(8)、郡(79)、市町村(2,878)

 

 

2.地理

(1)位置

チェコ、オーストリア、ウクライナ、ポーランド、ハンガリーと接する中欧の内陸国。

(2)地形

南部のドナウ川流域に平原が広がっている以外は丘陵地帯。中・北部にはタトラ山地があり、国土の80%が海抜750m以上。地形は南西部がドナウ川の作る平野、北東部は山地である。

(3)気候

一年の半分は寒冷期間で、四季ははっきりと分かれる。夏には30度以上になる日がかなりあり、冬には零下20度以下の日もある。2001年ブラチスラバの年平均気温は10.6度。2002年夏はドナウ川の洪水が発生したが、スロバキア国内には大きな被害はなかった。また、2003年夏は高温(一部で40度近い気温を記録した)と干ばつの被害が出た。


3.歴史

(1) スラブ人の移住とモラビア王国

民族大移動期、ゲルマン民族が西欧へ移動した後、500年ごろからスラブ人が移住し始め、7世紀、フランク王国の商人サモを指導者とする王国が作られた後、830年、モラビア・スロバキア地方を中心としてモラビア王国が建設された。863年、同国の招請によりビザンツ帝国からキリスト教宣教師のキリルとメトディウスが来訪した(これにちなみ、7月5日は当国の祝日)。同王国の領域はチェコのモラビア地方から当国とほぼ同じ領域にまで広がったが、マジャール人(ハンガリー人)の進出により907年に滅亡した。

(2)ハンガリー王国下のスロバキア

以後ほぼ千年間、スロバキア地域はハンガリー王国の一部となった。中世を通じて経済活動が拡大、交易が活発になり、国王ないし貴族支配から脱する自由都市も各地に現れ、また、バンスカー・ビストリツァなどの鉱山業が栄え、さらにドイツ人が各地に移住した。ハンガリーが1526年モハーチの戦いでオスマン・トルコに敗れ、衰退すると、スロバキア領域はハプスブルク家の支配下に入った。さらに、ハンガリー領域の大部分がオスマン・トルコの支配下に入った16世紀中葉から17世紀末まで、ハンガリーの国家機関や、大司教座がブラチスラバに移され、旧市街のマルチン大聖堂ではハプスブルク家が兼ねた歴代のハンガリー王の戴冠式が行われ、ブラチスラバは地域の政治経済の中心として発達した。

他方、19世紀以降、ハンガリーにおける対ハプスブルク民族抵抗運動と平行して、スロバキアにおいても独自の民族意識の高揚が始まった。19世紀半ばからスロバキア語の標準化を行ったシュトゥールを中心として「スロバキア民族」の文化が形成され始め、欧州革命の年である1848年にはスロバキア人は「スロバキア民族の要求」によってハンガリー議会での政治的権利を求めた。しかし、1867年のオーストリア=ハンガリー二重帝国の成立後、スロバキア人はハンガリー王国の強力なマジャール化政策に直面し、次第にスロバキア人の中にはチェコ人との連携を探る動きが出てきた。

(3)チェコスロバキアとしての独立

1次大戦後、オーストリア・ハンガリー帝国の解体、ドイツ帝国の敗戦、ロシア帝国における革命とソ連の成立により、中欧の情勢は大きく変化した。大戦中からマサリク(ロンドンでチェコスロバキア国民評議会代表として活動)、ベネシュ(パリでチェコスロバキア国民評議会を設立)等のチェコ人、シュテファニク(チェコスロバキア義勇軍を率いて連合国側で参戦)等のスロバキア人は連合国側においてチェコとスロバキア地域の解放、独立を働きかけ、ついに1918年「チェコスロバキア」の独立が宣言され、1920年ベルサイユにおけるトリアノン平和条約でその領土が最終確定した。

(4)ナチス台頭とスロバキア

新国家のチェコスロバキアはチェコ人の主導する国家となり、スロバキア人の不満が残った。また、スロバキア地域はオーストリア帝国経済解体の影響から抜け出せないまま経済発展が遅れ、1930年代の世界大恐慌は、大きな経済的打撃を与えた。このような情勢の中でスロバキアではチェコとの分離を主張する民族主義的政党が次第に国民の支持を得ていった。かくして、1938年ミュンヘン協定によりチェコスロバキアはズデーデン地方をドイツに割譲し、1939年になると「チェコスロバキア」は結局解体され、チェコ部分はドイツ帝国内の保護領となり、スロバキアにはティソを政府首班とする独立した「スロバキア共和国」が樹立された。

(5)第二次大戦、共産党支配

第二次世界大戦中「スロバキア」は日独伊三国同盟に加盟するなど枢軸国の一員であったが、1944年になるとスロバキア国民評議会の名による民衆蜂起が起こるなど反ティソ政権抵抗運動が活発化し、第2次大戦後は再び「チェコスロバキア」が復活した。しかし、1948年に共産党が政権を握ると、企業の国有化や農業の集団化が進められ「ソ連・東欧圏」化した。

(6)「チェコスロバキア事件」と「正常化体制」

1960年代後半になると自由化、民主化をめぐる党内の争いが激化し、「人間の顔をした社会主義」を標榜するドゥプチェク氏(スロバキア人)が共産党第一書記となり改革に着手した。しかし、この政策はソ連にとり反社会主義的であったため、1968年8月ソ連軍等ワルシャワ条約機構五か国軍が領内に侵攻し、自由化、民主化は終えんした。その後、登場したフサーク党第一書記(スロバキア人)はあらゆる面で共産党独裁を復活させる「正常化路線」を遂行した。しかし一方で、「スロバキア」の自治は承認され、69年以降チェコスロバキアはチェコとスロバキアの両共和国からなる「連邦」国家となった。

(7)共産党支配の崩壊(「ビロード革命」)とスロバキアの独立

1985年、ソ連にゴルバチョフ書記長が登場し、ペレストロイカが始まると、チェコスロバキアの党執行部は深刻なジレンマに陥った。しかし、ペレストロイカに鼓舞されたソ連・東欧各国国民の自由化への希望は高まり、1989年には隣国のポーランドやハンガリーで複数政党制度の取入れなど様々な改革が採り入れられ、同年11月ついに東独で「ベルリンの壁」が崩壊すると、チェコスロバキアでも「ビロード革命」が起こって、社会主義体制が崩壊した。

新体制のもと、民主主義の確立、経済の市場化や民営化などが進められた。しかし、1992年の総選挙で、チェコ地域で市民民主党(ODS)、スロバキア地域でスロバキア民主擁護運動(HZDS)が勝利すると、チェコとスロバキアの利害対立が表面化し始めた。このため、チェコのクラウス首相、スロバキアのメチアル首相との間で話し合いが行われたが、結局、チェコスロバキア「連邦」解体の方向が決定した。こうして、1918年より続いたチェコ人とスロバキア人の共同国家は1992年12月31日をもって幕を閉じ、1993年1月1日、チェコとスロバキアはそれぞれ独立の国家となった。

 


4.国家制度

(1)政治体制

共和制で、元首は大統領。89年以降、複数政党制による議会制民主主義、法治主義、市場経済体制の国である。

(2)行政

大統領は2004年6月よりガシュパロヴィチ(元国会議長)。国民の直接選挙によって選ばれ、第一回の投票で過半数を獲得した候補者がいない場合は、上位2名による決選投票が行われる。任期は5年。
歴代大統領 

ミハル・コヴァーチ        (1993年3月〜1998年3月)
ルドルフ・シュステル      (1999年5月〜2004年6月)
イヴァン・ガシュパロヴィチ    (2004年6月〜)

国家元首である大統領と、首相に率いられた政府がある。首相は大統領によって任命され、閣僚も首相の提案を受けて大統領によって任免される。政府は国会に対して責任を負い、その信任を受ける。2002年10月より第2次ズリンダ政権が発足し、SDKU(スロバキア民主キリスト教連合)、SMK(ハンガリー系連合党)、KDH(キリスト教民主運動)、ANO(新市民同盟)の中道右派4党連立。

歴代首相  ウラジミール・メチアル                  (1992年 6月〜1994年 3月)

      ヨゼフ・モラウチーク           (1994年 3月〜1994年12月)

      ウラジミール・メチアル                  (1994年12月〜1998年10月)

      ミクラーシュ・ズリンダ                  (1998年10月〜)


(3)立法

一院制の国会(正式には国民評議会と呼ばれる)で、議員定数150名。議員の任期は4年で、比例代表制により選出される。選挙区は全国1区制。

 

(4)司法

(イ)裁判所

憲法裁判所: 東スロバキアのコシツェ市にある。裁判官は13名。大統領は国会が提案する26名のうちから任命する。裁判官の任期は12年。

一般裁判所: 最高裁判所、地方(県)裁判所、郡裁判所の3段階制。裁判官は政府の提案により国会が選出する。任期は4年。この任期が過ぎたあと、任期終身の裁判官が選出されることになっている。

その他:軍事裁判所がある。

(ロ)検察機関 

検察庁:最高検察庁、地方検察庁、郡検察庁の三段階制。また、別に高等軍事検察庁、郡軍事検察庁がある。検事総長は国会の提案により大統領が任命し、その他検事は検事総長が任命する。検事総長の任期は7年で、連続二期まで再選可能。

 

(5)地方自治体

(イ)2002年より地方自治制度の確立が図られ、地方の基本単位として従来から存在している市町村(Obec)に加えて新たに地方自治体として8の県(Kraj)が設けられ、県知事は県民から直接選挙されることになった。これに伴い、中央政府はこれまでその地方組織を通じて行使してきた権限の一部をこれら地方自治体に委譲することとなり、漸次実施されつつある。他方、中央政府としては、内務省の管轄する地方支庁(Obvod)を設立すると共に、建設、農業、労働等の各省は直属の専門事務所を設置することで、全体として合理化、経費削減を図っている。

(ロ)県知事及び市町村長は住民による直接選挙で選ばれる。県議会選挙は2001年12月に第一回目が行われ、市町村選挙は2002年12月に改選が行われた。

 

 

5.政治情勢

1993年の独立以降、各政権は国内では民主主義と市場経済の定着のため政治・経済改革を進めると共に、外交ではNATO、EU加盟を最大の目標としてきた。メチアル政権末期には同首相の権威主義的政治が非民主主義的であるとして欧米諸国から批判を受け、近隣諸国に遅れを取ったが、1998年ズリンダ政権に交代し、地道な内政・外交努力を続けた結果、2004年4月にNATOに、次いで同年5月にはEUへの正式加盟を果たした。
6.経済情勢

2002年以降、マクロ経済は4%以上の高い経済成長を続けている。2003年は増税、公共料金値上げ等の影響で消費が冷え込み、経済成長を輸出に依存する構図となったが、2004年以降、個人消費の回復及び外国直接投資の増加が経済成長を下支えするかたちとなり同年平均のGDP成長率は5.5%となった。

 

(1)GDP

2004年のGDP成長率は5.5%台となり、過去6年で最高の伸びを記録した。2003年以降、好調な輸出が経済成長の原動力となってきたが、2004年に入り、実質賃金の上昇を受けて個人消費が回復した結果、内需も成長し経済を牽引するようになった。2005年第1四半期のGDP成長率も5.1%台であり、2005年の年平均のGDP成長率も5%台となると予想されている。

(2)インフレ

2004年のインフレ率は年率で7.5%であったが、2005年第1四半期は2.8%と落ち着いている。なお、EU加盟による大幅な物価上昇はみられない。

(3)貿易収支

恒常的に貿易赤字となっており、2004年の赤字額は455億コルナと、前年より更に悪化した。自動車を中心とした輸出は引き続き好調を維持するものと見られるが、今後とも、個人消費の回復、PSA(プジョー・シトロエン)、KIA-HYUNDAI等当国進出を決定した外国企業による大規模の工場建設にかかる輸入の増加が予想されている。

(4)失業率、雇用

失業率は徐々に低下してきており、2004年にはこれまでで最低の13.1%となった。他方、失業率の地域格差は依然として大きく、首都ブラチスラバの約3%に対し、中部・東部では20%前後となっている。

平均賃金も徐々に上昇してきており、2004年の月平均賃金は15,825コルナ、2005年第1四半期には16,002コルナ(約5万6千円)となっている。賃金の地域格差も拡大する傾向にある。

(5)財政

2004年は、予想を上回る税収があったことにより、財政赤字額は703億コルナ(GDP比3.3%)となり、政府が目標としていたGDP比4%は達成された。政府は、2009年のユーロ導入の前段階として2006年に、いわゆるマーストリヒト基準の財政赤字GDP比3%を達成するため緊縮財政をとっており、2005年の政府予算では財政赤字額を対GDP比3.8%と予定している。

(6)民営化

国営企業の民営化過程ではエネルギー関連分野が残されていたが、2003年12月に成立した大規模民営化法を受け、発電会社、配電3会社、暖房供給6施設等の完全民営化ないし一部民営化が進められている。中でもスロバキア電力(発電会社)の民営化が注目されていたが、イタリアのENEL社が買収することとなった。

 

 

7.在留邦人

企業関係者、留学生等を中心に2005年1月現在で約140名である(大使館に於ける在留邦人届けによる)。また、日本人会も組織されており、会員は90名弱で年次総会、娯楽の集い、メールマガジンによる情報交換等を行っている。

 

 

 

 

 

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